こども将棋教室の講師“谷川治恵”女流四段のご紹介にあたり、昨年1月5日〜2月2日に読売新聞夕刊に連載された谷川さんのエッセイを4回に渡って当ブログに掲載します。



教員志望から方向転換

一手千金⓵/谷川治恵さん

子どものころ、将棋を教えてくれたのは多くの女流棋士同様に父親だった。ただ決定的に違うのは父が類まれなるヘボだったことである。

教わってすぐに勝てるようになった私は長い間、自分には将棋の才能があると錯覚していた。この道を歩いてこられたのは、将棋に対する初期の印象がとても良かったからだと父には感謝している。

父は埼玉で内科の開業医をしていた。働き者で晩年までほとんど休みを取らず、毎晩のように急患に起こされては往診に出掛けていた。

そんな我が家に将棋界からのお誘いが舞い込んだのは昭和50年、私が青山学院大学3年、21歳の時だった。

その前年に女流プロ制度が誕生し、チェスの学生女子チャンピオンになったのが目に留まったようだった。

夢のある世界だと感じた私は教員志望から方向転換し、親の反対を押し切って将棋の道を選んだ。しかし、そのころの棋力はアマ7級。随分とむちゃな選択をしたものだと今になって冷や汗が出る。周囲にも誰一人将棋界に詳しい人がなく、ただただ夢を追っての入会であった。

将棋の世界は「たくましさ」に溢れていて好きだった。お嬢さまではとうてい務まらない厳しさがある。いつでもシビアな勝敗がついてくるので、弱みを見せまいと強がっているうちに、いつしか人間も強くなってゆくような気がする。世間知らずで弱虫だった私は、連盟とファンの方々に多くのことを教えて頂いた。

受けたご恩の半分でもお返しすべく、これからも全力で普及活動に邁進していきたいと思う。

(日本女流棋士会会長/当時)